オトギが少女――アリョーシャの光を間違える筈がなかった。
何度も何度も迷っていた自分に導を立ててくれた光。
黒く歪みきった今でも、根強く己の胸中で瞬いている、眩しくも暖かい光を。
「…………、な、んで……」
乾いた喉から発せられた声は、今にも消え入りそうな程に小さかった。アロウに向けられていた剣先が、オトギの腕と共に力無く地の方へと降りていく。
見てとれる程に動揺し、隙だらけなオトギに対して、アロウは反撃を行う事も容易であった――だが、出来なかった。先程までの残忍な表情が抜け落ち、見えぬ目で少女の光を捉えようとしている彼の姿に、戸惑ってしまったのだ。
「ヴェラに聞いたのよ。オトギはここにいるって」
アリョーシャは真っ直ぐな目でオトギを捉える。その仕草は昔――オトギがアルヴァドール軍に在籍していた頃――から何も変わってはいなかった。どこまでも純真で、変わらずに自分を慕っている目だ。それはオトギにも痛いほどに通じていた。
――何故、こうも変わらずにいられる。
「近寄ンな!!」
手にしていた剣先を、すぐ近くまで寄ってきていたアリョーシャの眼前へと向けた。アリョーシャの光の歩みがピタリと止まる。色が変わっていく。
「ゴッドチャイルドが何にしに来た。自ら捕まりに来たとでも言うのかよ」
「捕まったら、オトギと一緒にいられる?」
アリョーシャの言葉に、オトギの表情が、光が、黒く歪んでいく。昔から彼女はこうだ。発する言葉に、感情に、一辺の迷いもない。
昔は彼女の真っ直ぐな言葉で前を向く事が出来た。
――けれど、今は。
「ふざけんじゃねェよ!殺されたいか!!」
オトギの柄を握る手に力が入る。
再びアリョーシャが前へ足を踏み出そうものなら、その剣先は間違いなく彼女の首元を貫くだろう。
しかしアリョーシャ自身には、一切の怯みもなかった。ただただ、目の前の剣先の主を見つめている。
「……これ以上近付いてみろ、アリョーシャ。二度とそんな口が聞けねェようにしてやる」
「てめぇ!無抵抗の人間まで、」
「関係ねェ奴は黙ってろ!!」
この状況を見かねたアロウが口を挟むが、その声をオトギの怒号が遮る。
余程に余裕がない様子であることは、今は単なる傍観者でしかないアロウにも十分過ぎる程伝わっていた。その事はオトギ自身も感じているのだろう。アロウから感じ取れる、困惑の色。
何故、自分はたった一人の少女に対してこんなにも動揺しているのか。
「コイツは人間でもねェ、軍が所有していたゴッドチャイルド様なんだよ!昔優しくしてやったのが余程お気に召したんだろうな。こんな所までノコノコ来やがって」
オトギは動揺を隠すように、忌々しく言葉を吐き捨てる。
「昔とは何もかも違ェんだよ、アリョーシャ。その頭で分かったならとっとと帰れ。……二度と面見せんじゃ」
「変わってないわ、オトギは」
先程まで沈黙を保っていたアリョーシャの凛とした声が、オトギの表情の色を変えた。
アリョーシャは剣先に手を添え、柔く横にずらしてオトギの元へ、一歩、また一歩と歩み寄っていく。
「昔と変わっていない、オトギの心にある光は」
オトギの胸元へ、そっと掌を当てる。オトギから発せられていた刺々しくアリョーシャを取り巻いていた黒い光が、溶けるように消失していく。
その場でアリョーシャを斬り捨てる事など容易い。その手を振り払うことも造作ない筈――だった。
次々に脳裏から溢れる彼女と過ごした過去の記憶が、それらの行動を躊躇わせていた。
最後に彼女を目にしたのはいつだったろう。
その日も任務に自分も付いて行くと言って聞かず、自分の服の裾を握っていた手。聞き分けのないその手をやんわりとほどいて宥めていた事を思い出す。また帰ってくるから、と。
長く会わない内に大きく、暖かくなっていたアリョーシャの手を、オトギには振り払う事が出来ない。手にしていた剣を地面に落とし、ぼんやりと映えるアリョーシャの光を目で捉える。
封じ込めていたはずの感情が、まるでアリョーシャの手によって放たれていくようだった。
――誰よりも、彼女に会いたかったのだと。
「アリョーシャさん!!」
聞き覚えのある声によって、現実に引き戻されたような気がした。アリョーシャが振り返り、オトギが顔を上げる。
その先は、一度は道を違えた“元”親友――椎束朔太郎の色が見えた。オトギは堪らず息を飲む。その行動は朔太郎も同じだった。
「……オ、トギ……か……?」
「………今日は馴染みによく会う日だな」
表情を苦くしながら、オトギはアリョーシャの手をようやく振り払った。地に落ちた剣を拾い、アリョーシャに、朔太郎に背を向ける。
アリョーシャが再びオトギの手を取るも、先程までの動揺は何処へ行ったのか、強引に突き飛ばす。体勢を崩したアリョーシャを朔太郎が受け止めるが、彼女は体勢を直し、尚オトギを追おうとする。
「来んじゃねェ!」
背を向けたままアリョーシャを制す。朔太郎もアリョーシャの肩に手を置き、目の前の男を追う事を良しとしない。アリョーシャの朔太郎への訴えは、朔太郎が首を左右に振る事でいなされてしまった。
「……おい、ガキ」
次に放ったオトギの言葉は、アロウに向けられていた。呆然としていたアロウは、その声が自分に宛てられたものだと理解するのに時間がかかったようだ。
「潮時だ、帰ンな。オラクルはあのまま捕まってる女じゃねェ」
「……お前、オラクルを昔から知ってんのか?」
「……古い馴染みだよ」
それだけアロウに言い残し、オトギはその場を去っていく。アリョーシャはやだ、オトギ!と何度も名を呼ぶ。
オトギがその声を受けて振り返る事は、無かった。
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アリョーシャちゃん、お借りしました!
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