—— 一閃。オトギの剣が空を切り裂く。
確かに捉えたと思っていた朔太郎の身体は、既にオトギの目線よりも下で構えていた。
下からの気配を感じ取ったオトギは右足を後ろに下げ後退し、同時に朔太郎の剣筋がオトギの目の前を通り過ぎる。
「甘いな朔!殺る時はもっと踏み込めっつたろうが!」
オトギの声は至極楽しそうに、だがその声とは裏腹に剣筋は容赦が無かった。
それとは逆に、朔太郎の剣筋にはまだ躊躇いと迷いがある。
(……ッ、やれるものなら、とっくにそうしている……!)
未だに脳裏にチラつく普段のオトギの姿が、自分の剣先を鈍らせている。
頭では違うと割り切ろうとしていても、本心がそれを拒否している。
朔太郎はチ、と舌を鳴らしながらオトギから間合いを取り、両手に持つ剣を再び強く握り、迷いを振り切るかのように頭を左右に振る。
「……は、情けねェ。もう少し楽しめると思ってたが」
酷く冷たい声でそう言い放ち、オトギは瞬時に朔太郎の目の前まで距離を詰める。
朔太郎は反応が遅れ、気が付いた時には既にオトギが剣を高々と上にあげ、まさに振り降ろそうとしている時だった。
朔太郎はとっさに剣を受け止めようと右手に持つ剣で構えるが、その剣は振り降ろされたオトギの剣により弾かれ、地面へと勢い良く叩き落された。
無意識に地面に落ちた剣の方に視線を向けてしまい、その隙にオトギは朔太郎の腹部に向けて渾身の蹴りを放つ。
朔太郎はそのまま直撃を食らい、遥か後方へと吹き飛ばされ、受身も取れずにそのまま地面へと倒れる。
「……チッ、まだ完全に慣れた訳でもねェか」
蹴りが甘かったな、と首をコキッと鳴らしながら倒れた朔太郎の方を見やる。
咳込みながらも身体を起こし、悠々と立っているオトギの方を睨みつけながら、朔太郎は次の手を考えていた。
元より、瞬発力と力で敵の懐に入り込む戦い方のオトギと、己の柔軟さを活かして間合いを取りながら戦う朔太郎とでは、戦闘スタイルはまるで違う。
間合いさえ取ることが出来れば朔太郎にも勝機はあるが、オトギの戦法がそれをさせてくれない。
オトギの視力が著しく低下しているなら、朔太郎の異能——自分の足音や気配を消すことでオトギに勝てるかもしれない。
だが、オトギの戦い方は視力が低下する以前と変わらない。まるで視力が戻っているような——否、目ではない何かを頼りにして動いているような。目に頼らない分、動きが研ぎ澄まされているように伺える。
「……さっきので終わりじゃねェだろ、朔。テメェの光は消えてねェ」
オトギは剣を軽く宙へと投げ、またその柄を掴む。
朔太郎も先程の衝撃が残った痛む身体をふらつかせながら、ゆっくりと立ち上がった。左手に持つ片方の剣をオトギの方へと向け、ゆら、と小さく揺らす。
「さァ、第二ラウンドといこうか……楽しませろよ」
「楽しむ前に、終わらせる……!」
そう言って、朔太郎は地を蹴って走り出した。と同時に、朔太郎は息を止め、自身の異能である【無音素行】を使った。朔太郎の足音が止み、気配がオトギの前から消える。
オトギの動きが止まった。恐らく朔太郎の気配が消えたのを感知したのだろう。朔太郎はその隙を勝機とし、オトギの懐に入るとしゃがみ込んだ勢いを利用して剣先を下から上へ、身体を起こしながらオトギの胸元へと一撃を放った——はずだった。
オトギは瞬間的に身体を左へとずらし、剣先は胸元ではなく、オトギの頬から右目へと裂いていった。
まさか避けられるとは思っていなかった朔太郎は、異能を解いてまたオトギと間合いをあけ、距離を取る。
オトギは裂かれた頬と右目を押さえながら、身体をよろめかせた。
「……っ、ククク……やっぱ異能を使ってきたな、朔よォ」
オトギは自分の傷口から手を離し、血で赤く染まった顔で不気味に笑う。
朔太郎は恐れを感じた。自分の異能を使うタイミングを見破られていた事もそうだが——何故、笑っていられるのか。
「その色……あァそうか、びびってんのか」
そりゃそうだよなァ、とオトギはとめどなく流れる自身の血を気にすることなく、朔太郎の方へとゆっくりと歩き出す。
「確かに今の俺は視界が歪んでる。お前の顔だってもうボンヤリと色が分かる程度だ。……だがなァ、今のお前の姿、感情、それが俺にはちゃァんと見えてんだ。何でだろうなァ?」
ククク、とオトギはまた笑う。
朔太郎の目の前まで近付き、血で汚れた手で、朔太郎の頬に触れ、指を朔太郎の身体へ滑らせる。
「お前の顔、首……んでもって胸元。お前の光は分かりやすくて良いなァ。お前が何処にいるのかがすぐ分かる」
朔太郎は得体の知れない恐怖に身体を強張らせる。今のオトギは隙だらけだーこのまま剣をオトギに突き立てて、命を奪うことは容易いはず。
——その筈なのに、オトギを纏う何かが、朔太郎の動きを止めている。
する、と朔太郎の身体から手を離したオトギに、朔太郎は声を振り絞った。
「オトギ……お前は何で、軍に入った……?」
「あ?何だァいきなり」
「街の人を守る、自分の守りたい物を守る……そう言っただろう」
「んなこと言ったっけなァ」
「なら、アリョーシャは……!」
"アリョーシャ"という名に、オトギは目を見開く。構わずに朔太郎は言葉を続けた。
「お前が軍を捨て、永久機関へと足を向けるなら、私には止める資格は無い。……だがあの子は、アリョーシャの事はどうするつもりだ!」
「……テメェに関係ねェだろうが」
「あぁ、関係ない。だが、あの子にはお前が必要なのは分かっているだろ!お前だって……」
「テメェが……ッ、テメェがアリョーシャを語ってんじゃねェよ!!!」
狂気にも似たオトギの咆哮が木霊する。
表情が変わる。歪む。
先程までの笑みが瞬時に薄れ、また暗く禍々しい闇ががオトギの周りをぐるぐると回り始める。
オトギは狂気を纏ったまま剣の柄を固く握りしめ、朔太郎に向けて身体を捻る。この至近距離ではいくら反射神経が鋭くても逃げられない。
同時に朔太郎も剣をオトギに狙いを定めて腕を引いた。
——二人が繰り出した剣は、ほぼ同時に双方の身体を突き刺した。
オトギの右横腹に突き立てられた剣は、持ち主の力を失い、ズル、と血で染まった刀身を鈍く輝かせながら、地面へと力なく落ちていく。オトギは痛みと傷口からくる熱さに顔を歪めた。
対して、朔太郎に突き立てられた剣先は、朔太郎の胸元へと深々と突き刺さっていた。
朔太郎から声にならない呻き声が漏れる、と同時に、突き刺された肺は既に機能を失い、息の代わりにと逆流した赤い液体が、口元から吐き出される。
身体の力が、徐々に抜けていく。
意識が朦朧とする中で、朔太郎は霞み行く目の焦点をオトギへと合わせ、力の入らない腕で自身に突き刺さっている剣を握りしめた。
「……ッ、や、っぱり、お前にゃ……敵わん、の……」
掠れた声を振り絞り、朔太郎は力なく笑う。
そして自身に突き刺さった剣をゆっくりと引き抜き、身体を支える物を無くした朔太郎は地面へと倒れていった。
オトギには、一連の動作がまるでスローモーションのように見えていた。
俺は、今何をした?
朔が目の前で倒れているのは何故?
何の為に朔と戦った?
俺 は 何 故——
「——、朔ッッ!!!」
自身の傷を省みずに、オトギは握っていた剣をその場に投げ捨て、しゃがみこんで朔太郎を抱き抱える。
既に息も絶え絶えな朔太郎は、既に意識も無い。傷口から絶え間なく流れる生暖かい血液が。オトギの腕ごと紅く染められていく。
「…何、やってんだよ……俺はっ!!」
頭が混乱する。
目の前で倒れている男は、自分の後輩で、仲間で——紛れもない、自分のかけがえの無い友であった筈なのに。
自分の奥底で黒い塊がそれを否定した。それがこの有り様だ。
紛れもなく、自分が仕出かした惨状なのだ。
「馬鹿野郎、死んでんじゃねェよ、朔!!」
身勝手な言い分にも程がある。それはオトギ自身が一番理解していた。
オトギは地面へ朔太郎を寝かせると、両手で傷口を覆い目を閉じた。同時に、オトギの掌から淡く蒼い光が溢れ出す。
これこそがオトギが生まれながらにして持っている異能【affection sacrifice】。
オトギの放つ淡い光と共に、朔太郎の傷口が内側から徐々に塞がってゆき、止めどなく流れていた血も止まっていった。
やがて淡い光は止み、オトギはゆっくりと閉じていた目蓋を開ける。
「……はは、俺もいよいよ終わりだな……」
オトギから薄い笑みが溢れた。
先程までぼんやりと見えていたはずの視界が完全に色褪せており、うっすらと光を認識出来る程度までに視力が落ちている。
大切な親友の姿すら、もう目視する事は叶わなくなってしまった。……これこそが、オトギの異能の代償の一つである。
耳を済ませば、朔太郎の方から微かに呼吸が聞こえる。この様子だと、もう死に至る心配は無くなっただろう。
——否、そうであって欲しいとオトギは望む。
「……なァ、朔……、俺は……」
お前に何か与えてやれていただろうか。
お前の悩みに、少しでも力になれていただろうか。
お前が笑える場所を、俺は作れていただろうか。
お前の——友として、きちんと隣を歩けていただろうか。
「……はっ、我ながら女々しいモンだぜ」
そろそろ此処を離れなければ。
まだ軍本部に居残っている誰かがやって来るかもしれない。
横腹の傷を押さえながら、オトギはゆっくりと立ち上がる。
予想以上に足元がふらついてしまう。どうやら自分もそう長くは持たないらしい。
「……アリョーシャと……アイツらの事、頼むわ」
————————————
まさかの後編へ続きます。
アリョーシャちゃんのお名前、お借りしました。
PR